低所得者放置は「悪」。

オバマ就任という輝かしい日ですが、俺は今日もウダウダ史料を訳してます。HIPHOP大統領(笑)をこの目で見れる日が来るとは…
そーいや、昨日ガチ右寄りのカワイイ先輩と政治に関してかなり討論した。他の人が途中で帰った(笑)。最後は何故か人生観の話に。何だったんだろう。反省するために書いとく。



黙然日記様
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20090119/1232291076
より。



いや、記事は全くその通りすぎるのだが(社会保障に関して産経が良識を示すなんて期待できません)、コメント欄が実に面白かった。
現実として、俺もこれを読んでいるあなたも、突然収入が無くなる可能性はある訳です(別に派遣に限った話じゃない)。その時生きていくための最低限の社会保障は、国が行うべき義務、の筈。日本が近代国家である以上、それは当然だ。
ところが、小泉カイカク(とやら)はそれを切り捨てた。一番必要な法人税の引き下げ(先進国最高率てどういうことだw)、官僚の癒着(政治家に〜〜族なんて表現があるのは異常な事態です)などは放置しておいて、医療福祉や社会保障を切り捨てた。これで改革を名乗るってのは本当におかしい。
勿論全てのものには功罪があるし、一面的断定は避けるべきだろうけど、それにしてもこれはあんまりだと思う。
結局、小泉カイカクってのの最大の問題点は、癒着を全く見直さなかったことにあると思う。経団連公明党官僚もそう。
そして経団連による(収益を上げるための)低賃金労働者の多用・正社員の首切りと、小泉による(改革を演出するための)社会保障の切捨てが、低所得層の生活を脅かしているっていう問題が、結局今回の派遣村の問題に直接繋がってるんで。これは政治問題・社会問題なのだ。だからこそ、社会保障の見直しを訴えるという意味では、あの派遣村報道には意味があったと思う。
そして、政治にも社会にも関する問題なのだから、当然これについて政治団体は考える必要がある。



それにしても、今回はネットウヨクの酷さが目立った。
右派が社会保障に関する政策を積極的に提示するのは外国では別に普通のことの筈なのだが、何故か自己責任論、最後には「左派に利用されているから駄目だ」なんて珍説が飛び出してくる始末。
興味深いのは、右派寄りの人々が弱者を切り捨てる言論を採る際、これが左派が裏でコントロールしている「偽善」だから、「見捨てざるを得ない」という表現を用いていることだ。
多分彼らも低所得者という弱者を切り捨てるのにはためらいがあるのだろう。だが、感情として彼らはそれを認めたくない(ネットウヨクの大好きな新自由主義が間違ってたことになるからね)。結果、左派寄りの組織が協力している事実を、自分が目を瞑る理由に仕立て上げた訳だ。



この珍説を砕くのは非常に容易い。
社会問題に政治が関係するのは当然という事を指摘するだけで良い。
例えば、記憶に新しい国籍法改正騒動で、「右派が政治的に支援しているから」この運動に参加しない理由になるだろうか。これは当然ならない。この運動に参加しない人は、その理由を他に見つけている(例えばレイシズムに基づく運動だとか、全ての主張や根拠などが最高裁で完全に否定されている、とかねw)。



これは「左派が支援している」のではない。「左派・右派双方が協力して対処すべき改革の負の遺産から、右派はケツをまくって逃げ」「ネットウヨクは「自己責任」を唱え責任から逃れようとした」のだ。例え最初に左派が支援したとしても、当然社会保障という問題に目を瞑って良い理由にはならない。
もう一つ言う必要がある。
社会問題から目を逸らし、社会的弱者の「自己責任」にすり替えようとするのは、もはや「偽善」ですらない。それはただの「悪」だ。社会保障の危機、小泉カイカクの見直しがこれだけ叫ばれる中、無根拠かつ下らない口実で国家の危機を放置しようとした人間は、「売国奴」と呼ばれて然るべきである。



「中国が攻めて来る」という可能性が限りなく低い危機を声高に叫び、「地方の高齢者や低所得層の人々が生活の危機に直面している」という限りなく現実的な危機を無視する連中は、愛国者ぶってはいるが国家のことなど何も考えていないのだろう。こういうのを、ネットウヨクというのである。