絶望先生の新刊がマジで酷かった件!

久米田康治さよなら絶望先生の新刊が酷かった。
多分社会派要素のつもりなんだろうが、レイシズム丸出しの外国人排斥論をわざわざオチに持ってくるという暴挙。日本で皆がやりたくない低賃金労働を外国人労働者にさせているという構造を無視して、外国人移住を全て排斥しろと言わんばかりのオチ。
ギャグにもなってねえよ。最低。
もう絶対買わない。





確かに『かってに改蔵』も道義的にはどうかっていうマンガだった。虐められキャラ(いじられキャラ、ではない!)ちたんの扱いは酷いし、精神的に病んだ人でひたすら笑いを取るのも正直どうかと思う。
だが、少なくとも作者には酷い内容のマンガを書いているという自覚はあっただろうし、その自覚があるならばブラックユーモアとして許容出来る範囲の内容であったと思う。ブラックユーモアが成立していたのは「差別意識はあるし、それは良くないものだ」という前提があるからであるし、それを理解出来ていることはある意味健全だとすら言えると思う。





今回のものは上記のそれとは本質的に違う。多分作者はその主張が愚劣で低俗だということに気が付いてすらいないのではないだろうか。多分、「皆が思っているが書きづらい(タブー視されている)正論を書いている!」とか考えているんだろう。ネトウヨでおなじみの「日本が危ない」妄想にとりつかれているんでしょうね。
作者は特定人種や特定宗教の信者が日本に居住するのを危惧しているらしい。では、「趣味がサッカーの人間」が一定数居住したら反発するのだろうか?それが「太った人間」なら?「左利きの人間」なら?「B型の人間」なら?
多分反発を感じないのではないだろうか。結局それらを分ける根拠は「自分が嫌いかどうか」なのだ。
特定宗教が嫌いなのも、特定人種が嫌いなのも分かる。許容はしないが理解は出来る。だがそれが差別心理に基づくものだということは理解していなければならないだろう。それにすら気付かず、「正論」だと考えている人間は、少なくとも非難されてしかるべきであると私は考える。





日本では人種差別は公認されていないし、それは道徳性が高いという美点の一つである。個人の好き嫌いは勝手だが、「根拠のない差別意識」は少なくとも日本では肯定されるべきものではないし、それが表現されることは自分が愚劣かつ低俗な人間だと大声で叫ぶようなものだ。
以前も書いたようなことを繰り返したい。「人種差別意識に基づく愛国主義」は国にとって一切利益とならない(準犯罪行為の言い訳に国を使っているだけだ)。
外国人・少数民族排斥やら宗教弾圧やらをして日本が良くなると本気で思っているのだろうか?中共チベット弾圧や邪教弾圧をもう忘れたのか?それともそれが良いことだとでも思っているのか?
実際に日本を危なくしている、日本を変えようとしているのは差別意識を基に排斥主張を唱えている」連中、つまり馬鹿ウヨクのような連中だ。こういった犯罪的な主張をマンガが宣伝し、それが広まっていく。日本の高い道徳性がこういった主張によって徐々に失われているのだ。





久米田康治氏がそのような愚劣な主張に与しないことを強く望みたい。
もう買わないけどね!





追記:
一緒に買った『へうげもの』と『スティール・ボール・ラン』は最高でした。特に『へうげもの』は凄かった。歴史ものでこの解釈の自由度は凄い。下調べが出来ているからこその飛躍というか。
お勧めしときます。