カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』

なんか日本人が続いたんで、たまには洋モノを。



カート・ヴォネガット・ジュニアは特にアメリカにおいて非常に著名な作家の一人である。特に大学生などに人気の作家らしい。で、そのブレイクのきっかけとなったのが本作『猫のゆりかご』である。
この人の著作で有名なのは、やはりドレスデン空爆を扱った名著『スローターハウス5』であろう。確か、以前筒井康隆氏が小説オールタイムベスト1にあげていたのがこれであったと記憶している。確かにこれも非常に好きな小説の一つではあるし、客観的に見て素晴らしい完成度の作品だという事には同意するしかない。
だが、私個人としては「カート・ヴォネガット・ジュニアといいえば『スローターハウス5』」という認識が気に入らないのも事実でして。今回、この小説をとりあげて軽く紹介したい。



まず最初に言うべきは、これが終末小説だという事だ。
終末小説という小説ジャンルは、主に「何らかの理由で世界が崩壊し、人間は全滅もしくはそれに近い状態となる」小説の事だ(気になる方は季刊『幻想小説』の終末小説特集でも読んでください)。
そしてこのジャンルにおいて非常に強い影響力を持っているイメージとして「キリスト教的終末」というのがある。つまり黙示録的なイメージによる終末って事ですね。欧米の終末小説において、キリスト教な終末観が存在しない終末小説は非常に稀である。世界の終わりが如何なる理由であれ、大抵その後ろにキリスト教的な救い(特定の信者のみの救い)というイメージがへばりついている。その数少ない例外の一つが本作である。



この小説世界において、キリスト教的な立場にある宗教がボコノン教である。そして、このボコノン教という宗教が本当にふざけているのだ(何しろ、ボコノン教における聖書には最初に「ここに書いてある事は全て嘘である」と明記されているんだから)。
そう、この小説はボコノン教による「最後の審判」の話なのだ。天才科学者が作り出した物質が世界を破滅させ、主人公を中心とするごく僅かな人間を除いて人類を死滅させるというハードな筋ながら、これには全く悲劇的ムードはない。当然である。ボコノン教自体が完全にふざけているんだから。この小説における世界の終末は、まるで酷すぎて笑えないブラックジョークのようである。全く下らない事が原因で、世界はあっさり滅びる。馬鹿げた宗教の馬鹿げた予言どおりに。
ただ、そのあまりの酷さ・虚しさは、ある意味においては世界の崩壊にふさわしいものかもしれないとも思う。人間が作り上げた馬鹿げた世界が、馬鹿げた宗教と馬鹿げた人間によって、馬鹿馬鹿しく終わるのだ。ある意味ではそれは最高のエンディングと言えるのかも知れない。読後の虚脱感は、馬鹿が世界を崩壊させかねない武器を所持していながら、何一つ出来る事がない現在の我々にこそふさわしいものだろうと思う。
馬鹿が世界を終わらせる事が出来る(つい先日まで、英語もろくにしゃべれないキリスト教原理主義者ブッシュが核のスイッチを握ってたのを私は覚えている)現代において、宗教的な終末を描く際には、やはりその宗教は馬鹿げたものでなければならなかっただろう。その意味では、この小説は終末小説の中でも最も現代的だとさえ言えるかもしれない。



とにかく、この小説におけるボコノン教の強烈なイメージは一度味わっていただきたい。私の知っている限りでは最高の宗教である。ついでに今なら、カート・ヴォネガット・ジュニアの本は書店に平積みされているしね。
一読をお勧めする。