スイーツ(笑)以下(爆笑)

言いたくない言葉ってあるよね。
俺の場合は「スイーツ(笑)」がまさにそれで。



理由は単純で、恥ずかしいから。
女性蔑視というか、「イケてる女なんかより、僕の方が上の立場なんだー!」みたいな餓鬼っぽさを感じる。本当に、童貞臭い言葉だと思ってしまう。
若いうちは大抵の場合、同じ年齢だったら女性の方が大人びてる訳で。それは世間知や人生経験も含んだ知性だと思うし、俺個人の経験としては同年代の女性の助言に助けてもらった事も多い(俺が餓鬼なだけかしらん)。多分、こういう事を言いたがる人ってのはそういう経験がないんだろうな、と思う。それには同情するが、「相手にされていない陰口」ってのは、相当みっともない。



別に何かをDISる事自体は悪くないと思う。そんなんは個人の勝手だ(名誉毀損はいかんけどな)。それに俺だって浮気性の女性は好きじゃない(自分の彼女でも友達の彼女でもただの友人でもね)。人間関係が壊れるからね。
ただ、「スイーツ(笑)」などと嘯いてる奴がそいつらよりマシかというとそうでもない訳で。女性蔑視が深刻な奴ってのは、大抵「女性から全く相手にされてない奴」だ。つまり「女性に相手にされない⇒劣等感・敗北感⇒嫌悪」という図式なんだね。
そして、相手にされてない事をカモフラージュするために「僕はあいつらなんか嫌いだー!」と騒ぐ。バレバレなのにね。
で、そういう賢い僕ちゃんに限って、ネットウヨクの嘘情報をバリバリに信じてたりするんだよなー。ネットのデマゴーグを妄信してる「情報勝者」様なんざ、知性でも人生経験でも働いている普通の女性の足元にも及ばないだろうにね。



だから、スイーツ(笑)以下(爆笑)」



後、処女しか認めないタイプの人間や、モテないのを全て顔のせいにする人間もこれに似た類なんだろうなと思う。女性は大抵の場合、男を顔だけでは選ばない。性格やら金やら趣味やら年齢やら様々な要素から選ぶ。だから見た目が駄目でも中身がある奴はモテるんだよな(ビヨンセの旦那があのJAY-Zなんだぜw)。
そして特に人間性が酷くてモテない連中に限って、「イケてる女は全員馬鹿だ」とか「俺は処女しか駄目だ」とか「顔が悪いんだ」とか言い訳をぐちゃぐちゃする訳で。
そんな男から見ても情けない奴が、女からモテる訳がないだろうに。



モテないのは別に格好悪いことじゃない。
だが、モテないのを他人のせいや、生まれつきのせいにしてる奴ってのは相当みっともない。例え本当にそうだとしても、男ならそんな事で僻むべきじゃない。妬みや僻みは自分の原動力にするべきだ。



それが男だろ!

稲生平太郎『アクアリウムの夜』

ライトノベルに関して。



繰り返し流される通俗的な嘘の一つとして、「最近の若者は文字を読まなくなっている(もしくは本を読まなくなっている)」というものがある。所謂「最近の若者」の趣味として、文字を使わないものなんか殆どない。携帯だってネットだってゲームだって、文字を使うものだ。
例えば本や小説にしたって、読む人自体は増えていると思う。ただし、勿論形は変わっていく。例えば携帯小説ライトノベルなどなど。これらのものは
「最近本を読む人はこういういったを好む⇒最近の読者は普通の本を読まなくなった」
というよりは
「昔は本なんて読まなかったような人がこういうものを読むようになった⇒読者層の全体的な拡大」
と考えるべきじゃないんでしょうかね。実際には、良い小説は売れ続けている。村上春樹のような文学的作家がメジャーフィールドで売れている・理解されている国は、多分他にない気がする。



ただ、こういった状況を全面肯定するのにも違和感がある。携帯小説にしろライトノベルにしろ、狭いターゲットを絞って金を毟り取るというオタク商売だ。ここに共通するのは、①共通理解(「萌え」や「感動」)を前提のものとして、②その稚拙さ・技量の乏しさを逆に売りにして、③また支持者が批評を拒否し「好きか嫌いか」のみを問うという状況である。これはまさにジャンルとしての貧困だ。
客観的批評が存在しないものは、評価自体が個人的な、曖昧で相対的なものにしかならない。そのため、過去の良い作品も悪い作品も淘汰されず、消費者が徐々に離れていき、最終的にジャンルはその熱気を失って死滅するという結果となる。最後に残るのは懐古主義者だけだ。彼らは批評というものの存在を理解できないため、単なる印象のみの判断で昔のものを「全て良かった」とし、最近のものを「全て良くない」とする。
この状況は現在の日本製RPG市場を例えとすると分かりやすいだろう。俺個人としては、この図式が将来的にライトノベルにも携帯小説にも当てはめられるだろうと予想している。



だが、一過性のブームが良いものの再評価を伴う場合もある。ライトノベルブームが遺したものの一つとして、この小説を取り上げたい。俺がこの小説を読むきっかけとなったのは、間違いなくライトノベルブームだ。季刊『幻想文学』で著者の方のコラムを読んでいたので買ってみたら、大当たりだった。
この小説は俺にとってベストの青春小説だと言って良いと思う。表面的な筋だけでは、良く出来たホラー小説としか見えないかもしれない。青春小説=恋愛小説だと信じている人にはそう見えても仕方ないのかもしれない。
だが、違う。
この小説の根本にあるのは「哀しみ」だ。その「哀しみ」は、青春というもの自体の楽しい時間が「喪失」してしまうことに由来している(「夏休みの終わり」を想像してほしい)。小説が進むにつれ、主人公の持っていた大事なものは全て失われていく。事件は何も明らかにならない。ぼんやりとして何一つ分からないまま、最終的に主人公は恋人を失う。それは一面では「青春の喪失」であり、同時に象徴的には「思春期からの卒業」でもある。
全ては過ぎ去っていき、勝手に完結してしまう。友人や恋人が最終的に青春という闇の中に留まる(「死」や「消失」はその暗喩である)が、主人公にはそれは許されない。一人取り残された主人公の、懐かしさと喪失感の入り交じった強烈な胸の痛みは、そのまま読者にも強く訴えかけるはずだ。



傑作中の傑作である。強く一読をお勧めする。



最後に知識自慢。
中盤から出てくるチベット旅行〜謎の生物の発見といった話の元ネタは、多分ロブサン・ランパの一連のチベット旅行記(偽作)だと思われる。さらに河口慧海チベット旅行記をディティールだけ利用したのだろうか。この芸の細かさ、本当にさすが!

面白ぇーーー。

糞忙しくて、正直こんなんしてる場合じゃないんですが。
読むべき論文が多過ぎる。国会図書館の雑誌RSSはまじ便利だが、更新されるスピードに全く追い着かない。英語論文なんて読むと一日仕事だよ…情けない…。



http://news4vip.livedoor.biz/archives/51251996.html
があまりにも面白かったんで貼っときます。

所謂まとめブログですが、米欄の発狂ぶりも良い。まとめた方の腕も非常に良いですね。

左寄りの人は「朝日・毎日の捏造報道発覚」に普通に対処する(左寄りでも悪い左派は叩く)のに、ネットウヨクは自分の馬鹿っぷりを見ると発狂するんですかね。面白いけど、不思議。
まず自分を鑑みることから始めるべきでしょうに。

「国のため」なら、自分の愚行が許されると思ってるんですかね。「国のため」を言い訳にする奴は、「愛国者」というよりは「国家の寄生虫」と呼ぶべきでしょうね。
それとも、「愛国無罪」とか主張するつもりなんでしょうか。



愛国者」を自任するなら、日本の国際的長所を考えて欲しいものです。ネットウヨクの人の求める政治は彼らが嫌いな国のそれとそっくりで、本当に辟易します。
日本には「愛国無罪」はありません。そういう政治的純粋性を理想とする人は、日本で暮らすには向いていないと思う。

低所得者放置は「悪」。

オバマ就任という輝かしい日ですが、俺は今日もウダウダ史料を訳してます。HIPHOP大統領(笑)をこの目で見れる日が来るとは…
そーいや、昨日ガチ右寄りのカワイイ先輩と政治に関してかなり討論した。他の人が途中で帰った(笑)。最後は何故か人生観の話に。何だったんだろう。反省するために書いとく。



黙然日記様
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20090119/1232291076
より。



いや、記事は全くその通りすぎるのだが(社会保障に関して産経が良識を示すなんて期待できません)、コメント欄が実に面白かった。
現実として、俺もこれを読んでいるあなたも、突然収入が無くなる可能性はある訳です(別に派遣に限った話じゃない)。その時生きていくための最低限の社会保障は、国が行うべき義務、の筈。日本が近代国家である以上、それは当然だ。
ところが、小泉カイカク(とやら)はそれを切り捨てた。一番必要な法人税の引き下げ(先進国最高率てどういうことだw)、官僚の癒着(政治家に〜〜族なんて表現があるのは異常な事態です)などは放置しておいて、医療福祉や社会保障を切り捨てた。これで改革を名乗るってのは本当におかしい。
勿論全てのものには功罪があるし、一面的断定は避けるべきだろうけど、それにしてもこれはあんまりだと思う。
結局、小泉カイカクってのの最大の問題点は、癒着を全く見直さなかったことにあると思う。経団連公明党官僚もそう。
そして経団連による(収益を上げるための)低賃金労働者の多用・正社員の首切りと、小泉による(改革を演出するための)社会保障の切捨てが、低所得層の生活を脅かしているっていう問題が、結局今回の派遣村の問題に直接繋がってるんで。これは政治問題・社会問題なのだ。だからこそ、社会保障の見直しを訴えるという意味では、あの派遣村報道には意味があったと思う。
そして、政治にも社会にも関する問題なのだから、当然これについて政治団体は考える必要がある。



それにしても、今回はネットウヨクの酷さが目立った。
右派が社会保障に関する政策を積極的に提示するのは外国では別に普通のことの筈なのだが、何故か自己責任論、最後には「左派に利用されているから駄目だ」なんて珍説が飛び出してくる始末。
興味深いのは、右派寄りの人々が弱者を切り捨てる言論を採る際、これが左派が裏でコントロールしている「偽善」だから、「見捨てざるを得ない」という表現を用いていることだ。
多分彼らも低所得者という弱者を切り捨てるのにはためらいがあるのだろう。だが、感情として彼らはそれを認めたくない(ネットウヨクの大好きな新自由主義が間違ってたことになるからね)。結果、左派寄りの組織が協力している事実を、自分が目を瞑る理由に仕立て上げた訳だ。



この珍説を砕くのは非常に容易い。
社会問題に政治が関係するのは当然という事を指摘するだけで良い。
例えば、記憶に新しい国籍法改正騒動で、「右派が政治的に支援しているから」この運動に参加しない理由になるだろうか。これは当然ならない。この運動に参加しない人は、その理由を他に見つけている(例えばレイシズムに基づく運動だとか、全ての主張や根拠などが最高裁で完全に否定されている、とかねw)。



これは「左派が支援している」のではない。「左派・右派双方が協力して対処すべき改革の負の遺産から、右派はケツをまくって逃げ」「ネットウヨクは「自己責任」を唱え責任から逃れようとした」のだ。例え最初に左派が支援したとしても、当然社会保障という問題に目を瞑って良い理由にはならない。
もう一つ言う必要がある。
社会問題から目を逸らし、社会的弱者の「自己責任」にすり替えようとするのは、もはや「偽善」ですらない。それはただの「悪」だ。社会保障の危機、小泉カイカクの見直しがこれだけ叫ばれる中、無根拠かつ下らない口実で国家の危機を放置しようとした人間は、「売国奴」と呼ばれて然るべきである。



「中国が攻めて来る」という可能性が限りなく低い危機を声高に叫び、「地方の高齢者や低所得層の人々が生活の危機に直面している」という限りなく現実的な危機を無視する連中は、愛国者ぶってはいるが国家のことなど何も考えていないのだろう。こういうのを、ネットウヨクというのである。

MABOROSHI(マボロシ)『ワルダクミ』

RHYMESTER、をご存知でしょうか?
RHYMESTERは2MC1DJからなるグループで、日本語HIPHOPのパイオニアの一つであり、現在まで息の長い人気を誇るグループとして知られている。特にその言語表現の巧みさは評判が高く、筆者(俺だw)認定で「日本語を完全に使いこなせている表現者」の数少ない一つです(2MCどちらも無茶苦茶上手い)。またライブにも定評があり、「KING OF STAGE」の異称でも知られている。
またRHYMESTER率いるFGクルーは、KICK THE CAn CREW(含KREVA)やRIP SLYMEなど人気が高いグループが所属しており、まさに日本を代表するクルーと言えるだろう。
要するに、RHYMESTERは日本語HIPHOPそのものを代表するに相応しい、最高にカッコイイグループなんです。音、リリック、ライブ、全部ヤバい。勿論全アルバム外れ無し。「日本語でHIPHOPなんてダサくない?」といわれた時に、俺は彼らの名前を出せば胸を張ることが出来ます。日本のポップスにも、海外のHIPHOPにも、こんなカッコイイおっさん達はいないっす。



で、このMABOROSHI(以下マボロシ)。
これはRHYMESTERのMCであるMUMMY-Dこと坂間大輔と、スーパー・バター・ドッグのギタリスト竹内朋康が組んだユニットなんです。
最初聞いた時、俺はつい思ってしまいました。
なんでMUMMY-Dがやる必要があるの?
RHYMESTERは日本語HIPHOPを大成させたグループで、日本語HIPHOPを体現しているグループでもある訳です。そのRHYMESTERMUMMY-Dが、ギター?ロックなの?何でわざわざHIPHOPを捨てるようなことをする必要があるのか。ミクスチャーなんざ○○やら××(秘密w)やらに任せときゃいいでしょ、と。
正直、先行シングルのプロモがよく流れていた時も、大分色眼鏡で見てました。「普通に面白いが、それで?」みたいな。俺は宇多丸師匠信者だったので、そこにも若干の物足りなさを感じていたんですね。



そして、ついに1stアルバム『ワルダクミ』が出た訳ですよ。
一聴して「まぁかっこいいじゃん(謎の上から目線w)」などと思いました。ところが、数回繰り返し聴く内に、これが評価がグイグイ上がっていくんです。で、今では俺認定で「クラシック(名盤)」てな訳です。ちくしょー!無茶苦茶かっこいいよ!!これ!!
MUMMY-Dは勿論ミクスチャーなんかしなかった。ただ、HIPHOPの源流であるファンクを蘇らせてみせたのです。
確かに竹内朋康のギターはファンキーですし、MUMMY-Dのトラックもラップもファンキーです。でもそれらは断片に過ぎない。それが組み合わさり、濃密に煮詰められ、ついに日本人による日本語のファンク、それも本物のファンクが誕生したのです。マボロシには弾けるようなスピードも粘りつくようなグルーブもしっかりとある。
しかもそれだけじゃない。ファンク特有の土臭さといったものさえ、マボロシ現代日本風にアレンジしながら作り出したのです。これが外国の音楽の物真似じゃない理由はそこにあります。現代日本の芳醇な音楽的資産、日本語という言語(その発音も含めて)の風味は、全く新しいが奇妙に懐かしい「土臭さ」となって結実しました。



これはある意味でサンプリング的な発想です。サンプリングとは、「使用する材料ではなく、料理自体を評価する」発想です。素材として昔の音楽をパクっても良いんです、そこに新しい味があれば、新しい発見があれば、新しい構成があれば。
しょっぱなからMUMMY-Dは「オレの仕事は泥棒 音楽遺産泥棒」と堂々と宣言します。何故それを誇らしげに断言できるのか?簡単です、前より良いもの、新しいものになっているからです。
しかも、サンプリングはHIPHOPの手法です。だからこそ普通は「如何に良いHIPHOPを作るか」という、素材を生かす発想になりがちです。これはどうしても素材の使い方から考える為、その発想を限定してしまいがちです。しかしマボロシはその枠を飛び越え、現代ブラック・ミュージックの源流の一つであるファンクを新しく蘇らせるという偉業に挑み、それを成功させたのです。しかも凄くかっこよく。
それは墓場から出てきたような、過去の音楽という巨人のゾンビではないのです。新しく誕生した、全く新しい音楽の子供なのです。だからこそこれは分かり易く、現代的でありながら、同時に根源的(オリジナル)なのです(その意味で、マボロシOUTKASTのフォロアーとする見方には俺は与しません)。これが日本から生まれたことは、その母体となったRHYMESTER、日本語HIPHOP、そして日本の音楽シーン全体にとって最高の勲章となるでしょう。



以下、ダラダラとこのアルバムの長所を述べます。
曲は全部良いですが、M-1、M-4、M-9、M-13、M-15は単体として聴いても本当に最高です(俺はM-13を聴くと条件反射で目が潤むw)。その他の曲もアルバムの中では最高の役割を果たしています。
客演もスゴい。特にKREVAMURO、DABO、KOHEY JAPANはベストアクト級で、下手したらMUMMY-Dを喰いそうになってます。ま、最後にはDさんが全部もってくんですが。
ギターもヤバい。アルバム構成も良い。メッセージ性も凄くある。つーかこの二人、顔もスタイルもかっこいい。ちくしょー!最高だよ!!



最後に一つだけ。あのHIPHOP原理主義的な、ロックやポップス嫌いも多い日本語HIPHOPマニアの中でも、このギター音バリバリのアルバムを悪く言う人は全然いません。クオリティが高すぎるからです。
一聴を強く強く強くお勧めします。

自称「愛国者」の末路。

dj19の日記様
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090118
より。



はははははは。



昔むかし、「反日ブログ監視所」というブログがありまして。
所謂「ネットウヨク」の代表的な視野狭窄が拝見出来るサイトでありまして、時々見に行っては笑っていたもんであります。
簡単に言うと、「自分達の好きな主張に反対する=反日(もしくは在日外国人)の手先だ!」という考え方ですね。これは勿論レイシズムの典型というべき愚考です。違う価値観を持つ人間がいるということが理解出来ず、外国人(という理解不能の敵対者)として処理しようとしている訳ですね。



表立った人種差別が殆どないというのは、海外(それこそ欧米でも東南アジアでも)において日本が高い評価をされている理由の一つです。実際に行ってみると、何処の国でも大抵愚劣としか言いようがない差別感情がありますが、日本はそれが少ない。これは日本の公衆道徳の高さの証明の一つです。
ところが、日本では何故か自称愛国者の方々がネット上で差別感情を爆発させているようですね。これらの差別感情に基づくプロパガンダが、日本のためだと本気で信じているようです。
当然ですが、レイシズムの蔓延が日本にとって有益な可能性は極めて低いでしょう。例えば、確かに「近隣諸国への外交的防衛」は必要ですが、そのことにレイシズムが利用されることはその正当性を疑わせることとなるでしょうし、レイシズムに基づく外交政策は日本の国際的地位を失墜させる結果となるでしょう。そもそも、レイシズムに基づかなくても外交防衛は容易に可能です。
愛国者ならば、国際的に非難されることが容易に想像出来るレイシズム的主張は当然拒絶すべきなのです。
それなのに、彼らは何故レイシズムを剥き出しにした主張を行うのか。恐らく、外国を叩く行為が楽しいからでしょう。彼らは日本に迷惑をかけながらレイシスト的活動を楽しんでいるのです。「敵対国家の連中がやってくるからやってるんだ」(何処の国にもレイシストは存在します)という理由は、「じゃあ何故同じような低俗な行為を行い、国家に迷惑をかけるのか」という主張に答えられないでしょう。



要するに、
「如何なる大義名分であっても、レイシズムに基づくものであるならばそれは否定されるべき」
なのです。これは「如何なる大義名分があっても人間の大量殺戮は肯定されるべきでない」ということと同等の意味です。



レイシストは国籍を問わず嫌悪されるべきものです。それでも、我々は馬鹿を排除すべきではありません。それは馬鹿と何ら変わりませんからね。日本のネットウヨクが反日外国人同様の偏見を有していることを思い出してください。
ただ、その残党が逃げ続けながらも恥も外聞もない言い訳をしているのを笑うべきなのでしょう。



あっははははははは。

50CENT『GET RICH OR DIE TRYIN'』

ギャングスタ・ラップという音楽のジャンルがある。
簡単に定義すると、「ギャングスタ(不良・チンピラ)である自分の威圧感・経験を利用しながら、自分の考え方や危険な過去、現在の成功した生活、過酷なゲットーの現実といった内容を伝えるラップであり、リアル(本物・本当の話)であることを重視し、フェイク(偽者・作り話)を嫌悪する」といった感じだろうか。間違ってたらごめんなさい。

恐らくそのオリジネイターはN.W.Aだろうか。N.W.Aはウエスト・コーストにおいてさえまだマイナーであったギャングスタ・ラップを商業的に成功させ、そのスタイルは直ぐにリスナーからの支持を勝ち得る事に成功した。
その後においてウエスト・コーストのDr.DreSnoop Dogg2PACのみならず、イースト・コーストでもThe Notorious B.I.GJay-ZWu-Tang Clanなどこのスタイルによる成功者は続いた。サウス最盛期の現在(2009年1月)でさえ、商業的成功者の大半はギャングスタ・イメージを重視しているといえるだろう(勿論例外もある)。
そのスタイルは確かに魅力がある。ギャングスタからゲットーで生きていくことの話を聞くのは、日本の普通のフリーターのラッパーの自分語りを聞くよりは絶対的に面白いからだ。確かRHYMESTER宇多丸師匠(RESPECT!)が言っていたと思うが、「嘘みたいな、本当っぽい怖い話しを聞いてキャーキャー怖がる」のは楽しいし、親もいなければ金もなく、売春や麻薬取引でしか生きていけないような酷い環境でも懸命に生き抜いてきたラッパーの言葉には感動的な重みが生ずることがままある。



ただし、この弊害も存在する。
例えば、現在でもHIPHOPの典型的イメージが「Yo!Yo!言ってる馬鹿っぽい不良」だとか「リアルを連呼する犯罪自慢」だということは、直接的な弊害の一つだろう。最初はゲットーで生きていくという過酷な現実を描いていた筈のものが、いつの間にか「犯罪経験や不幸な過去の自慢話」になっていってしまったという一面は確かにあると俺は思う(もっとも、N.W.A聞いていると最初から何も変わってないじゃねえかって気もしてくるんだが)。
日本のラッパーにおいてもその影響を感じることがある。例えば作り話を極端に嫌ったり(「リアル」「フェイク」)、逆に本来の意味でのギャングスタ・ラップに近い立ち位置を持つNORIKIYOやMJPといった優れたラッパー達が、自らはギャングスタではないと主張する(「でもギャングスタじゃねえやJUNKSTAが…」「I AIN'T GANGSTA 」)のもその捻じれた影響の一つだろう。「リアル=劣悪な過去・犯罪経験」という考え方の行き過ぎは、そのジャンルの人口そのものを狭め、またスキルのないラッパーでも「リアル」というだけで評価される風潮を作ってしまった。
当然だが、HIPHOPを音楽や自己表現と考えるなら、それは音楽・表現として評価されるべきであり、その内容が嘘だろうが本当だろうが評価に影響を与えるべきではない。ギャングスタ・ラップは、その副作用としてHIPHOPイメージを極端に固定化してその入り口を縮小させ、表現そのものよりも「本当か嘘か」を重視するという価値観を作ってしまったといえると思う。



という訳で、50CENT『GET RICH OR DIE TRYIN'』。
50CENTというラッパーは非常に面白い。
この人は分かり易くギャングスタだ。彼はその筋肉質の肉体を誇示しながら、自分はプッシャーでありピンプでありギャングスタであると宣言し、腐る程金を持っている成功者だと勝ち誇る。自分に逆らう奴には銃弾を撃ち込んでやると警告する(彼は過去に9発(!)射撃されて死に掛けたことがある)。彼は今までも他の人気ラッパーに噛み付いてDISを巻き起こすことで人気を得てきた(気になる人は公式ホームページのBIOGRAPHYでも見て下さい)。イメージだけで言うと典型的な怖ーーーいギャングスタという感じだ。
で、実際に聴いてみて欲しい。多分ちょっとビックリすると思う。なんかヘロヘロしたフローなんである。怖い内容とラップのヘロヘロ加減が不思議な味を出しており、それは怖いというよりは不思議な憎めなさを演出している。その怖ーーーいラップの内容も、ゆるーいフローの為か、聞き込んで行く内にやり過ぎたジョークのような気がしてくるんである。どう考えても、このラップの通り人を殺していたらあっという間に米国のラッパーの人口は半減してしまう。
ここまで来ると彼のラップの内容はどうも本当っぽくない気がしてくると思う。これは嘘というよりは「大言壮語」といった方が良いだろう。彼は真実を上手に脚色しながら、ヘロヘロフローを使って面白い表現を作っているのだと思う。それは凡百のラッパーの「本当の話」より全然面白いし、多分ギャングスタの「(脚色してない)怖い話」よりも面白いだろう。
彼は最近のKanye Westとのアーティスト廃業を賭けた(!)アルバム売り上げ対決(50CENTは負けましたが全然引退の気配はないです…興味があれば御自分で調べて下さいませ)でも分かるように、大口を叩いて盛り上げるのが上手な人なのだと思う。そしてその大口とヘロヘロフローはピッタリと合っている。その魅力はギャングスタの既成概念を破壊するのに充分である。



そう、別に内容は本当じゃなくてもいいのだろう。「リアル」というのは本当のことという意味ではなく、「如何に本当っぽく伝えるか、如何に内容にリアリティを持たせるか」という技術なのだ。この意味での「リアル」はある意味N.W.Aから続いているものだ(N.W.Aのリリックの内容も明らかにホラ話が混ざっているが、それを怖ーーーい雰囲気でリアリティを出している)。そしてオーヴァーに表現することは、ある意味エンタテイメントとなるのである。大嘘は面白いのだ。
リアリティのあるヤリスギなホラ話と、彼独特のフローが満載されているこのアルバム、俺にとってはまさに「クラシック(名盤)」である。ギャングスタの呪縛、ギャングスタ・ラップという呪縛を解く為にも、一聴をお勧めする。